変化・葛藤の中で鍛えられた心の軸
INTERVIEW
おてんばだった幼少期
斎藤陽菜さんは、東京都で一人っ子として育ちました。
「おてんばな子でしたね。どれだけ友達を笑わせられるか、木登りも大好きでした。」
そう語る陽菜さんは、幼稚園時代にインターナショナル幼稚園と普通の幼稚園を行き来していました。通っていたインターナショナル幼稚園は、アメリカの教育を取り入れたものだったそうです。
海外への興味が芽生えた小学校時代
小学校の頃から、陽菜さんは海外のアーティストの曲を聴くようになったそうです。周りの友達が日本の曲を聴いている中、陽菜さんはディズニーチャンネルを見始め、特にロス・リンチ(「オースティン&アリー」)が大好きだったといいます。
海外に興味を持ち始めた彼女は、「青少年の翼」という団体を通して留学に実際行こうとしましたが、残念ながら落ちてしまいました。それでも、海外への興味は着実に育っていきました。
中学時代――進路と父との別れ
中学3年生になり進路を考えていた頃、留学してみたいという気持ちが段々と強くなっていったといいます。小学生の頃から続いていた海外への興味が、具体的な目標へと変わり始めた時期でした。
しかし同じ年に、陽菜さんはお父さんを亡くしてしまいます。
ただ、当時は亡くなったというよりかは、なぜか急に自分の世界からいなくなってしまったような感覚だったそうです。
この悲しい出来事の後に、陽菜さんは郁文館グローバル高校の説明会に参加しました。そこで出会ったのが郁文館グローバル高校で行われる「アフリカゼミ」でした。
1994年、今よりたった30年も前にルワンダで起きたフツ族によるツチ族への大量虐殺。100日間で100万人が虐殺され、隣人同士での殺し合いもありました。
しかしそこから30年で、ルワンダは革新的な経済復興を成し遂げました。
それ以来、死生観について深く考えるようになり、同校に進学する決意を固めたといいます。
高校時代――郁文館グローバル高校

2018年、陽菜さんは郁文館グローバル高校に入学しました。
そして高校1年生の時、アフリカゼミを通して実際にルワンダに行くことになりました。田舎の学校を回って子供達と関わることがとても楽しかったそうです。「また行きたい」と笑顔で語っている陽菜さんがとても印象的でした。
また、この高校には1年間まるまる留学できる制度があり、世界中にある約100校の高校と提携しているそうです。その中から1人1校を選び、高校2年生の時に全員が留学に行く制度があります。筆者はそういった制度のある高校に通っていなかったので、これにはすごく驚きました。
ただ、留学の規則はとても厳しかったといいます。現地にスマホを持っていくことは出来ず、支給されるのは連絡用携帯のみ。パソコンは許可されているがSNSは禁止で、家族との連絡も文通のみ。また、仮に日本人同士で話す時も絶対に英語のみ。これらの規則を破った人は強制帰国になるそうで、実際にSNSを使ったことが発覚し、強制帰国になった先輩方もいたそうです。とてつもない規則の厳しさですね(笑)。
2020年1月から12月までの間、このプログラムを通じて陽菜さんはニュージーランドに留学しましたが、ちょうどコロナの時期と重なってしまいました。
この留学は学校のプログラムとして行っていたため、何かあれば頼れる人がいる環境だったといいます。後にアメリカに渡った時との大きな違いは、この「頼れる存在がいるかどうか」だったと振り返っていました。

ルワンダの生活の様子

ニュージーランドの生活の様子
アメリカ留学への決断
高校卒業後、陽菜さんは当初ハワイに行こうと考えていました。
しかし、同時期にコミュニティカレッジ(コミカレ)からのUC編入という道を知り、悩んだ末にコミカレを目指すことになりました。陽菜さんは当時、IELTS6.5を持っていました。実際にIELTSを受けたことのある筆者からすると、このスコアはとても高いです。
コミカレを選ぶ際は、OCC(Orange Coast College)とSMC(Santa Monica College)で悩んだそうですが、生活環境を考えた結果、最終的にOCCに決めたそうです。
ニュージーランドでの留学経験があった故に、渡米前は「余裕ぶっこいていた」と陽菜さんは語っていました(笑)。
渡米後のカルチャーショック
しかしアメリカに渡って最初に感じたのは、予想とは違う現実でした。
特に、ルームメイトとの生活に多くの苦労があったそうです。
「ルームメイトのアメリカ人がめっちゃ汚かったんです。キッチンとか共有スペースとか全く掃除しない人で。そこには4ヶ月くらい住んでいました。」
こうした経験を通じて、陽菜さんは人との距離感を学んでいったそうです。
「人に干渉しすぎないこと。干渉しすぎると自分が辛くなる。ルームメイトであっても、ある程度の距離は置くことを意識するようになりました。」
筆者もこれは非常に大切な学びだと感じました。ルームメイトとはつい距離が近くなりがちですが、価値観や生活習慣の違いが積み重なると、気づかないうちにストレスや摩擦につながることがあります。適度な距離を保つことで、お互いが無理なく心地よく生活できる環境が生まれるのだと思います。
OCC(Orange Coast College)での日々
OCCで特に仲良くなったのは台湾人の女の子だったそうです。文化は近いのに違う言語を話す。そういう関係がとても新鮮だったそうです。
また、ニュージーランド留学との大きな違いは、すべてを自分でやらなくてはいけない責任感だったといいます。学校のプログラムとして行っていたニュージーランドとは違い、アメリカでは頼れる人がいない中で、自分の力で道を切り開いていく必要がありました。
UC Berkeley合格
そして2年間のコミカレ生活が終わり、UC Berkeleyへの編入が決まりました。
「ひなが!?っていう気持ちでした。UCLAに合格できればすごいなと思っていたのに、それより上に受かったから驚きが大きかったです。」
これまで自分に自信がなかったと語る陽菜さん。UC Berkeley合格は、人生で初めての大きな成功体験となりました。
Berkeleyでの葛藤
しかし、UC Berkeleyに入ってからが本当に大変だったと陽菜さんは振り返ります。
「Berkeleyの1年目は、メンタルブレイクしていた時期でした。環境の変化やプレッシャーの中で、自分を見失ってしまっていたんです。」
陽菜さんは元々UCLAに行きたい気持ちがあったこともあり、心のどこかで葛藤を抱えていたのかもしれません。慣れない環境下での新たな交友関係や学業との両立は少しずつ彼女の心を蝕んでいったそうです。
そんな陽菜さんを救ったのは、なんと筋トレでした。
これまで毎朝嫌なことを考えて起き上がれなかった陽菜さん。ある日をきっかけにして、毎朝何か考える前に走りに行くようになったそうです。
それ以来自分の食生活やスタイルを常に見るようになり、毎日毎日自分がちょっとずつ変わっていく姿が嬉しかったといいます。それが楽しみで、毎朝希望を持って起きれるようになったそうです。こうした小さな変化の積み重ねが、陽菜さんを以前の日常に引き戻してくれたと語ります。

Berkeleyでの生活
現在、陽菜さんはUC Berkeleyで社会学(Sociology)を専攻しています。
UC Berkeleyの学生の雰囲気について聞くと、陽菜さんはこう語ります。
「ジムでも勉強している人がいるんです。それにバックグラウンドが豊富な人たちと会えます。」
競争的な環境の中で、刺激を受ける毎日を送っているそうです。
それにしてもジムで勉強している人がいるとは驚きですね(笑)。
留学を通じて得たもの
留学前と比べて、自分がどう変わったかを聞いた際には、
「めっちゃCompetitive(競争的)な環境にいるから、自己成長ができますし、最終的に頼れるのは自分だと気づきました。」
自分を信じる力、要するにエフィカシー(自己効力感)が上がったと陽菜さんは語ります。そして、小さいことを受け流す力も身についたそうです。
これからのキャリア
将来のキャリアについては、まだ考え中だそうです。
しかし、留学を通じて得た「自分を信じる力」は、どんな道に進んでも陽菜さんの支えになることでしょう。
留学を目指す人へのメッセージ
最後に、これから留学を目指す人へのメッセージを聞きました。
「やっちゃえ。次はあなたの番です。今のこの時間は戻ってこないよ。」
そして、こう続けます。
「辛い時間も大事にしたほうがいい。それが自分を成長させる。感情のままに行ったほうがいい。行きたいと思ったら、行きな。」
かっこいいですね。筆者もこれにはとても共感しました。
そして、そんな陽菜さんにとって、留学とは一言で言うと何でしょうか。
「人生を変えるもの」
父との別れ、ルワンダでの経験、アメリカでの鬱との闘いーー様々な困難を乗り越えてきた陽菜さんの言葉には、重みがあります。UC Berkeleyという場所で、今も自分を磨き続ける彼女の姿が、これから留学を目指す人たちの背中を押してくれることを祈ります。





