UC Berkeleyからウォール・ストリートへ
第二部:UC Berkeleyからウォール・ストリートへ
なぜBerkeleyだったのか
いくつかの選択肢の中で、五十嵐さんはUC Berkeleyを選びました。
「Berkeleyは当時もっとカオスでした。広場で政治の話をしている人がいたり、いろんなカルチャーが混ざっていました。みんな色んなことをやっているけど、一体感はあった。こういうコミュニティに入ってみたいと思いました。」
珈琲屋さんでの風景も重なりました。
「珈琲屋さんでは、おじさんたちが物理の話をしたり、哲学の話をしていました。Berkeleyにはそれと同じ空気があったんです。」
UCLAやStanfordは「小綺麗な感じ」だったといいます。
「Berkeleyの方が経済的にも優しかったし、色々な人を受け入れている感じがありました。」
カオスで、色々な人がいて、でも一体感がある。そんな雰囲気に惹かれたという五十嵐さんの感覚は、とても素敵だなと思いました。
UC Berkeleyでの学び
UC Berkeleyでは、理工学部に進みました。
卒業プロジェクトでは、チームプレイが求められたといいます。しかし、五十嵐さんにとってチームプレイは得意な領域ではありませんでした。
「チームを作る際に、自分が何を持っているか、自分に何が足りていないかを理解する必要がありました。そして、自分が他のメンバーにとっても魅力的である必要がある。」
この経験は、今も営業をする際に生かされているといいます。
「相手が求めていることに対して、自分がそれを持っているよと示せるようになりました。自分の足りていないところを見るには、Density(密度)が高いところが必要だったんです。」
小さい頃から「ミッシングピースを埋める」のが得意だった五十嵐さん。UC Berkeleyでのチームプレイの経験が、その力をさらに磨いたのだと感じました。
五十嵐さんの根底には、小さい頃から変わらない想いがありました。
「人を幸せにしたいというのが根本にあります。人の幸せを見るのが小さい頃から好きでした。」

ソロモン・ブラザーズとの出会い
卒業後、五十嵐さんの運命は思わぬ方向へ動きます。
「ある教授のプロジェクトがとても好きで、大きなプロジェクトを作りました。それがうまくいったので、教授に気に入ってもらえたんです。」
その教授から、ビジネススクール(今でいうHaas)のファイナンスの教授を紹介されました。その教授は、アシスタントでプログラマーを探していたのです。
「ニューヨーク証券取引所の売りと買いの情報がマッチングしていなかったので、それをマッチングするサポートを作ってくれるプログラマーを探していました。その紹介してくれた先が、ソロモン・ブラザーズでした。」
会ってから2週間後、ソロモン・ブラザーズからオファーレターが届いたといいます。教授のプロジェクトを頑張っていたことが、思わぬ形でキャリアにつながった。人生って本当に何がきっかけになるかわからないですよね。
ウォール・ストリートという街
なぜウォール・ストリートに惹かれたのかを聞きました。
「大勢の人が一つのことに集中して、何かを成し遂げようとしているその熱気に惹かれました。当時は金融の知識はゼロでした。」
企業が集まるキャリアフェアには「ただ飯を食いに行っていた」と笑いながら振り返ります。
「ウォール・ストリートのやつは、そのビュッフェのレベルが違いました。全ての食材が豪華で、稼いでそうな雰囲気がありました。」
ビュッフェのレベルで稼いでる度合いがわかるというのは面白いエピソードですね(笑)。
ソロモン・ブラザーズに入社
ソロモン・ブラザーズでの仕事内容を聞きました。
「初日から、金融知識ゼロで東京デスク担当のトレーディングをやりました。株の自己売買部門を7、8ヶ月。それから、株や債券の金融派生証券を使って自己勘定で取引する仕事をしていました。」
金融知識ゼロで初日から東京デスク担当って、すごいプレッシャーだったのではないでしょうか。でも、五十嵐さんの「飛び込む力」があれば、それも乗り越えられたのかもしれません。
レバレッジの利かせ方
アメリカの金融業界で働く上で、最も衝撃を受けたことを聞きました。
「リスクの取り方です。レバレッジの利かせ方が物凄かったですね。そんだけリスクを取ってやるのかと思いました。」
リスクを取っているのは会社であり、トレーダーに責任があるといいます。
「抜け出した人が、自分たちのお金をかけてリスクを取って、レバレッジをかけていく。けど中には保守的な人もいます。」
五十嵐さんは、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の例を挙げました。
「LTCMという会社は大失敗しました。みんなMITやノーベル賞を取ったような人たちで構成されていたにも関わらず、ロシア危機があって大失敗したんです。けど、そこから立て直したんです。投資家も怒っているのに、また許してくれる。リスクプロファイルを取る人たちの幅広さを感じました。」
失敗しても再挑戦できる。その環境がアメリカの強さなのかもしれませんね。
起業を決めたきっかけ
ウォール・ストリートでの日々はエキサイティングでしたが、五十嵐さんの中には物足りなさもありました。
「ウォール・ストリートはすごくエキサイティングだったけど、僕は人に喜んでもらえるのが好きなんです。」
トレーディングで儲かると、スタートレーダーのように注目される。しかし、その裏には多くの人が支えているといいます。
「僕が作ったものでもなんでもなく、ソロモン・ブラザーズが作った土台の上で何かをしているだけだと思いました。それより、自分の可能性を試してみたかった。」
華やかなウォール・ストリートで働きながらも、「自分で何かを作りたい」という想いが芽生えていった。その正直な気持ちが、次のステップへとつながっていったのだと思います。
初めての起業と挫折
当時、ソロモン・ブラザーズやゴールドマン・サックスは自社でトレーディングシステムを作っていました。
「自分でトレーディングシステムを作れば、売れると思いました。日本の金融機関のシステムは遅れていたから、マーケット全体に提供できるのではないかと考えたんです。」
そうして1992年、五十嵐さんはベンチャーを立ち上げました。
しかし、プロジェクトを2年間回しましたが、うまくいきませんでした。
「会社をどうやって育てていくかは考えていなかった。それで会社を畳まざるをえなかったんです。」
技術はあっても、会社の育て方を知らなかった。この挫折が、後の時価総額1,000億の会社であるSimplex創業に活きることになります。




