留学体験記
ハイスクール・ミュージカルに憧れた少年が、本当にUCバークレーの学生になるまで
2026.04.09
モノ作りに夢中だった幼少期
菊谷遼(ハル)さんは、鹿児島県鹿児島市で育ちました。
「小さい頃からモノ作りが好きな子でしたね。モーターを買ってラジコンを作ったり、割り箸鉄砲を作ったり。」
そう語るハルさんは、地元では顔の広い存在だったそうです。町にいる人がみんな家族のようなもので、良い噂も悪い噂もすぐに広まる環境。だからこそ、自然と目立つ存在だったといえます。
元々お母さんが学生時代に留学をしていたこともあり、家庭では海外の教育番組を見て育ったそうです。また、長期休みにはサンタバーバラによく訪れていたため、アメリカが怖い場所というイメージは全くなかったといいます。
そんなハルさんがバークレーを初めて知ったきっかけは、お姉さんが好きだった「High School Musical (ハイスクール・ミュージカル)」でした。最後のシーンで主人公のトロイ・ボルトンが
「The University of California, Berkeley, where I’m going to be attending next fall」
と言ったことを、今でも鮮明に覚えているそうです。この映画の影響で、ハルさんはアメリカの高校に憧れるようになりました。

リーダーシップの芽が育った小学校時代
ハルさんは地元の小学校に通いました。当時からとにかく人が大好きで、小学校初日にいきなり2人の同級生に「親友になろう」と声をかけたそうです(笑)。
小学1年生の時には、お父さんたちが企画した「親父の会」で屋久島に行くことになりました。参加者約50名のほとんどが高学年の中、唯一の1年生として参加。班長を決める場面で、唯一手を挙げて「班長になります」と宣言したそうです。昔から先導して何かをやることが好きだったと、ハルさんは振り返ります。
ハルさんは、今の自分を作ったのは両親の教育だと語ります。
「昔から自分のしたいことを全て肯定してくれる両親でした。小さい頃から自分に意思決定権を持たせてくれたんです。結果的にその教育のおかげで、挑戦することが好きになりました。」

破天荒だった中学時代
私立の中高一貫校に進学したハルさんですが、中学時代はかなりの破天荒ぶりだったようです。テニス部に所属していたものの練習にはほとんど参加せず、ゲームに明け暮れる日々。学校帰りには毎日のように鹿児島中央駅の繁華街で遊び、夜遅くまでゲームをしていたそうです。
「両親のクレジットカードを使ってゲームに課金していました。」
とんでもない中学生ですね(笑)。
授業中にはルービックキューブにハマり、最高記録は24秒まで上達。先生に取り上げられては新しいものを買い続け、最終的には教員室の担任の机にルービックキューブのタワーができたそうです。筆者もこれには思わず笑ってしまいました。
さらに中学3年生の夏には、校内でクワガタを見つけたことがきっかけで昆虫にハマります。「日本一のクワガタブリーダーになりたい」とTwitterで著名なブリーダーたちにDMを送り続け、最終的に「ブリーダー界の師匠」と呼ばれる方々から日本オオクワガタを譲り受けました。大きなワインセラーを二つ購入して温度・湿度を24時間管理し続け、1年後に羽化したクワガタを3万5千円で売ったそうです。中学生にしてこの行動力には驚かされますね。

高校時代 ― 成績ほぼ最下位からの逆転と留学への決断
高校に上がっても、ハルさんの成績は下がり続けていました。高校1年生の時には学年で下から3番目。学校から成績表が自宅に送られるシステムだったため、家に帰ると自分の成績表が壁に大きく貼り出されていたそうです。
同時期にバスケットボールクラブに入部し、全国強豪校の中で練習に励んでいたハルさん。しかし、練習中にカントン症という膝の病気が判明します。医師からは完治するには高校3年生までかかると告げられました。
だったら昔からの夢だった留学をしたいと思い、親に相談しました。でも、その時の成績が下から3番目だったので、「こんなんで行かせられるわけないでしょ」と反対されました。
「そこからスイッチが入りました。」
悔しさをバネに猛勉強したハルさんは、なんと全体の総合2位を獲得。その結果、両親から留学の許可をもらい、2021年8月の高校2年生の時に、南カリフォルニアに位置するサンタバーバラへの留学が決まりました。ちなみに、渡米時点で英語の資格は一切なかったそうです。
現地の高校8校の中からBishop Diego High Schoolを選んだ決め手は、卒業式で着るローブがハイスクール・ミュージカルと同じ赤と白だったから。幼い頃の憧れが、進路の決断にまで影響していたようです。

高校時代(アメリカ) ― Mr. Popularと恩師との出会い
渡米当初は「What's up, bro」しか言えなかったというハルさん。ホストファミリーはお母さんがUCSBに通っていた頃の親友で、とても温かく迎えてくれたそうです。
8月末に学校が始まると、ハルさんがまず取り組んだのは、学校全員250人の名前と顔を覚えることでした。「仲良くなりたかったから」というシンプルな理由です。
筆者には到底真似できません(笑)。
その甲斐あって、後日ホストマザーから「面白い日本人がいるって話題になっているよ」と教えてもらったそうです。あだ名は「Mr. Popular」でした。
しかし、友人関係に全力を注いだ結果、最初のEnglishの授業でF(不合格)を取ってしまい、学校を追い出されそうになります。
納得がいかずに先生に抗議しに行ったハルさんに、先生はこう言いました。
「ハル、それがあなたの選んだ道でしょ。」
実はその先生自身も17歳の時に中国語が全くわからない状態で中国に留学し、同じような辛い経験をしていたのです。話す中で先生は涙目になりながら、「今優しくしてもハルのためにならないんだ」と語ったそうです。
「アメリカで大の大人が泣くことなんて滅多にない。先生の大きな愛を感じました。そこまで考えてくれる人を見たことがなかった。」
そう語るハルさんの目には涙が浮かんでいました。
この出会いをきっかけに、ハルさんは勉強に真剣に向き合うようになります。なんとか冬休みのオンライン授業でCを取ったことで進級。バスケも並行して続け、Junior(3年生)の年には南カリフォルニアでチーム1位を獲得しました。最終的には成績も大きく伸び、SBCC(Santa Barbara City College)に全額奨学金での進学が決まりました。
「高校留学は人生を変えました。あの時の決断が今の自分を作っています。」
簡単ではなかったからこそ、その言葉には重みがあります。

コミカレ時代 ― 編入への道
コミカレでの生活は、高校とはまた違った雰囲気だったそうです。
「コミカレは寂しかったです。高校にも4年制大学にもコミュニティがあるのに、コミカレはみんな編入のために通っている場所だから、深い人間関係が作りづらい環境でした。」
それでもハルさんは、ASU(Asian Student Union)のPresidentを務めるなど、積極的に活動していました。毎日学校の芝生の上で日向ぼっこをしながら、綺麗な海を見て過ごす生活は、サンタバーバラならではだったと笑顔で語っていたのが印象的でした。

UC バークレー合格 ― 驚きの瞬間
そしてコミカレ生活を経て、UC バークレーへの編入が決まりました。
「バークレーから合格通知を受け取った時は、めちゃくちゃ驚きました。まさか自分が本当にバークレーに受かるとは思っていなかったので。」
幼い頃にハイスクール・ミュージカルで知ったあの大学に、本当に通うことになるとは。まさに夢が現実になった瞬間ですね。

言語学と地球惑星学 ― ダブルメジャーへの道
そんなハルさんは現在、UC バークレーで言語学(Linguistics)と地球惑星学(Earth and Planetary Science)のダブルメジャーをしています。
言語学を選んだ背景には、幼い頃からの吃音症がありました。
「子供の頃から吃音症が酷くて、未だに言語障害を抱えています。どうして吃音症が起きるんだろうと思い、コミカレではコミュニケーションを学びました。でもそれでは足りないと感じて、バークレーでは言語学にしたんです。」
地球惑星学は、バークレー1年目の冬休みに行ったロードトリップがきっかけでした。壮大な自然の中で、「ここの地形がどんな過程を経て、今に至ったのか」を疑問に思い、ChatGPTと議論を重ねたそうです。最終的には自分でしっかりと学びたいと思い、ダブルメジャーを決意したそうです。自らの体験を学問に結びつけていく姿勢には、筆者もとても感銘を受けました。
バークレーでの生活
UC バークレーの学生の雰囲気について聞くと、ハルさんはこう語ります。
「とんでもない天才がウジャウジャいるなと思いました。これまで何かで負けたと思ったことがなかったのですが、バークレーに来て初めて学問における『負け』っていう経験をしました。雰囲気はやっぱり真面目です。みんな学業と私生活のバランスを取るのがすごく上手なんです。」
サンタバーバラでのびのびと過ごしていたハルさんにとって、バークレーの競争的な環境は新鮮な刺激だったようです。

留学を通じて得たもの
留学前と比べて自分がどう変わったかを聞くと、ハルさんはこう答えました。
「破天荒でトゲトゲした性格だったけど、色々な経験を通して良い丸みを帯びてきました。けど自分の個性が失われたわけじゃない。アメリカは自分の挑戦を肯定的に受け入れてくれた。僕みたいなタイプは、日本にいたら腐っていたと思います。」
鹿児島の小さな町から世界へ飛び出し、何度も壁にぶつかりながらも自分を貫いてきたハルさん。その言葉には確かな重みがあります。
これからのキャリア
将来について聞くと、ハルさんの答えはとてもシンプルでした。
「自分のしたいことを形にする生き方がしたい。自分の人生の舵取りを自分でしたいんです。」
小学生の頃から意思決定を大切にしてきたハルさんらしい答えだと感じました。
留学を目指す人へのメッセージ
最後に、これから留学を目指す人へのメッセージを聞きました。
「お金がなくても、支援してくれる制度はこれからいっぱい出てくると思う。Beyond Japanの奨学金もその中の一つだと思う。だからこそ、そういった機会を逃さないでほしい。日本の教育や同調圧力に潰されそうな人には特におすすめです。留学すればきっと面白い人生に変わるはず。」
かっこいいですね。筆者もこれにはとても共感しました。
そして、そんなハルさんにとって、留学とは一言で言うと何でしょうか。
「自分の人生を変えてくれる人にたくさん出会える場所。可能性を無限大にしてくれるもの。」
二言でしたね(笑)。
鹿児島からサンタバーバラ、そしてバークレーへ。ハイスクール・ミュージカルに憧れた少年が、本当にUC バークレーの学生になるまでの物語は、まさに挑戦の連続でした。クワガタブリーダーや学年ほぼ最下位から、全額奨学金の獲得とバークレー合格。ハルさんの歩みが、これから留学を目指す人たちの背中を押してくれることを祈ります。