留学体験記

トルコ×日本 ─ 日本での差別を乗り越えてUCバークレーへ

2026.03.25

    人懐っこくて負けず嫌いだった幼少期

    グンドゥズ・セリンさんは、千葉県成田市で生まれ育ちました。トルコ人のお父さんと日本人のお母さんを持つミックスです。

    「幼稚園の頃は本当に人懐っこくて、誰にでも抱きついちゃうような子でした。」

    そう語るセリンさんは、ご両親の教育方針でインターナショナルの幼稚園に通っていました。ミックスだったこともあり、見た目が似た子たちが沢山いる環境が楽しかったそうです。園長先生が動物好きだったこともあり、自然と触れ合う機会も豊富だったといいます。

    とにかく英語を話すのが好きだった幼少期。お母さんの英語の発音を矯正していたというエピソードには思わず笑ってしまいました。また、小さい頃から負けず嫌いで、男の子には見下されたくない性格だったそうです。トルコのおじいちゃんがプロレス選手だったことから、小さい頃からよく取っ組み合いをしていたそうです(笑)。

    海が大好きで、毎年ハワイに行っていたほか、トルコやグアムにも足を運んでいたそうです。自然を愛する、活発な子供だったことが伝わってきます。

    自然豊かな小学校と、外見によるいじめ

    地元の小学校に進学したセリンさん。昼休みには裏山で鶏を追いかけ回したり、田んぼでザリガニを捕まえたり、カブトムシの罠を裏山に仕掛けたりと、自然豊かな環境でのびのびと過ごしていたそうです。

    また、徒競走では常に1位を取り続けたり、小学校1年生から習っている書道に関しては今も続けているそうです。

    しかし、ミックスであることが原因でいじめを受けるようになります。

    「当時、イスラム教のテロ組織による事件が報道されていたこともあって、『国に帰れ』と言われました。見た目のことでゴリラというあだ名をつけられたこともあります。目の色や髪の色が周りと違うだけで、女の子たちからは距離を置かれていました。」

    中学時代 ― 思春期の葛藤と、英語が救いになった日々

    地元の中学校に進学したセリンさん。陸上部に所属し、最初は順調なスタートでした。しかし、思春期を迎えたことで、自分の見た目を気にするようになったといいます。

    「部活内でも教室内でも、徐々にいじめられるようになりました。小学校では気にしていなかったのに、思春期になって自分の見た目がすごく嫌になった。先生に相談しても全く対処してくれなくて、先生に反抗するようになりました。」

    体育マットにグルグル巻きになり、3時間ほど包まれたまま反抗していたというエピソードからは、当時のセリンさんの苦しみと反骨心が伝わってきます。

    そんな中で唯一の救いになったのが、書道の大会と英語のスピーチコンテストでした。

    「英語を喋っている時が、一番自分が受け入れられている感じがしたんです。自分の本当の声を出せる感覚でした。」

    この言葉がとても印象的でした。日本語の世界では居場所を見つけられなかったセリンさんが、英語の中に「本当の自分」を感じていた。この感覚が、後のアメリカ留学へとつながっていくのです。

    高校時代 ― 孤独の中で見つけた夢と挫折

    高校受験を経て、私立の高等学校に進学しました。留学プログラムが豊富なカトリックの高校で、オーストラリア留学に行きたくて受験したそうです。しかし、コロナの影響でその留学は実現しませんでした。

    高校でもセリンさんの苦悩は続きます。高1の入学式からコロナで式典がなかったことに加え、初日に先生から地毛を黒染めするように言われたのです。

    「地毛だと言ったら、証明書を出せと。証明書を出しましたけど、すごくショックでした。小学校・中学校・高校と、ずっと外見で差別され続けている。高校に行ったのに、まだあるんだって。」

    学年の女子からは見た目の印象で怖がられ、話しかけてもらえない日々が続いたそうです。数ヶ月後にようやくできた友達からは「セリンって痩せた方がいいよね」とまた外見に関して言われたそうです。筆者はこの話を聞いて、胸が痛みました。

    そんなセリンさんの支えになったのは、英語部(ESS)の鈴木先生でした。セリンさんのことを深く理解してくれた恩師で、不安や悩みをいつも相談していたそうです。お昼ご飯は毎日、鈴木先生のオフィスで一緒に食べていたといいます。

    高校では友達がほとんどできなかったため、インスタグラムで友達を探していたそうです。そこで出会ったのが、今も続く大親友。その子もミックスだったといいます。ミックスの友人たちとの交流の中で、早稲田大学のSILS(国際教養学部)に興味を持つようになりました。

    「セリンがBelongする場所はここだと思いました。」

    高校2年生から本格的に受験勉強を始めましたが、結果は不合格。他の大学は一切受けていなかったため、落ちた日から3日間は一言も声を出せなかったそうです。

    アメリカ留学への決断 ― 父の一言

    深く落ち込んでいたセリンさんに、お父さんがこう言いました。

    「なんでSILSにこだわってるの?英語が好きならアメリカに行けばいいじゃん。」

    この一言がセリンさんの人生を大きく変えます。お父さんからコミュニティカレッジ(コミカレ)という選択肢を教えてもらい、すぐにコミカレを調査。4年間の学費を資料にまとめてご両親にプレゼンしたそうです。高校生にしてこの行動力、さすがですね。

    最終的に、カリフォルニア州で四年制大学への編入率No.1で寮もあるOCC(Orange Coast College)に決めました。カリフォルニアを選んだ理由は、気候の良さとトルコ人の知り合いが多かったこと。渡航時の英語力は英検2級だったそうです。

    OCC(Orange Coast College) ― 仲間と共に駆け抜けた日々

    渡米前、高校での経験から性格が暗くなってしまっていたセリンさんは、アメリカで友達ができるか不安だったそうです。入学前にはESLと呼ばれる語学学校に通い、そこで出会ったアラブ人の友達と積極的に話すようになったといいます。

    OCCに入学する前にはニューヨークを訪れ、コロンビア大学のキャンパスを見たことで「ここで学びたい」と強く思うようになりました。1学期目からStudent Governmentに参加してFinanceの部署で活動し、自分の抹茶ブランドまで立ち上げたそうです。

    抹茶ブランドの売り上げの一部は、トルコへの寄付に充てていたといいます。幼少期からトルコを訪れるたびに目にしていた貧困の現実が、セリンさんの行動の原動力でした。

    「トルコに行くたびに、道端でお母さんが赤ちゃんを連れながら物乞いをしているのを見てきました。お金持ちが物乞いを汚い目で見るのが、すごくショックで。」

    セリンさんは当時のトルコの情景を思い出し、ここで涙を流されました。幼い頃から心に刻まれた貧困問題への想いが、経済学を学ぶ原点になっているのだと感じました。

    しかし1学期目にアカウンティングの授業でBを取ってしまい、ご両親にも残念がられて落ち込んだそうです。それでも2学期目からは一緒に頑張れる友達ができ、勉強の仕方がわかるようになっていきました。そして2学期目以降はオールA。PIQ(編入エッセイ)の提出学期にはCalc 2(微積分2)に苦しめられ、毎日泣きながら授業に行っていたそうですが、友達に助けられて乗り越えたといいます。

    UC Berkeley合格 ― 迷いの中での決断

    コミカレ生活を経て、UC Berkeleyへの編入が決まりました。しかし、セリンさんの第一志望はコロンビア大学でした。

    「嬉しかったけど、行くとは思っていませんでした。コロンビアに落ちて、バークレーに行くことにしたんです。元々バークレーを蹴ってでも、UC Irvineに行く予定でした。」

    決断の締め切り1週間前に、お母さんの勧めでバークレーに1週間滞在し、キャンパスをじっくり見たそうです。雰囲気が気に入り、最終的に将来の就職も見据えてバークレーを選んだといいます。

    経済学 ― 貧困問題を解決するために

    セリンさんは現在、UC Berkeleyで経済学(Economics)を専攻しています。

    「貧困問題をどう解決すればいいんだろうと、幼い頃からずっと思っていました。経済がどう貧困に影響を与えているのか知りたかった。貧困問題の背景にあるのが経済学なんです。」

    特に開発経済学に関心があり、コロンビア大学のジェフリー・サックス教授のもとで学びたいという夢を持っていたそうです。トルコで見た貧困の光景が、セリンさんの学問の出発点になっていることが伝わってきます。

    Berkeleyでの生活

    バークレーでの刺激的な出会いについて聞くと、ジムで出会ったAdiという男の子を挙げました。プロテインバーを自分で作って売っているなど、バークレーには起業家精神にあふれた学生が多いそうです。OCCとは違い、多様なバックグラウンドを持つ人たちに囲まれる環境がとても刺激的だと語ります。

    「トルコに行ったらアジア人だと言われ、日本にいたら外人だと呼ばれ、ずっとアイデンティティ・クライシスでした。今振り返ると、SILSに落ちて良かったと思います。」

    留学を通じて得たもの

    留学前と比べて自分がどう変わったかを聞くと、セリンさんはこう答えました。

    「精神面ですごく成長しました。すぐに落ち込まずに、まず論理的に考えるようになった。それに、人に頼ることを覚えました。」

    そして、留学を通じて気づいた自分の強みについてはこう語ります。

    「自分が過去に苦労したからこそ、周りのことを理解できるし、視野が広がった気がします。辛い経験を沢山したからこそ、他者に寄り添える。大切にしたいのは、ありのままでいること(Be yourself)と、自分を愛すること(Love yourself)です。」

    小学校から高校までずっと外見で差別され、居場所を見つけられなかったセリンさんが「Be yourself」と語る姿に、筆者は深く心を打たれました。

    これからのキャリア

    将来のキャリアについては、まだ模索中だそうです。しかし、方向性ははっきりしています。

    「経済、貧困問題、社会問題に関われるようなところで働きたいです。」

    幼い頃にトルコで見た光景を原動力に、経済学を専攻したセリンさん。その先にどんなキャリアが待っているのか、とても楽しみです。

    留学を目指す人へのメッセージ

    最後に、これから留学を目指す人へのメッセージを聞きました。

    「とりまやってみ。意外になんとかなるから。行くか悩んでいるなら、行った方がいい。マジで世界が変わるから。日本人にはもっと世界に出て、人それぞれの価値観や見た目も全て含めて、広い世界で学んでほしいです。」

    そして、女性に向けてはこう続けます。

    「女性だからといって可能性を狭めずに、世界に出て色々と挑戦してほしい。世界に羽ばたけば、女性はもっと活躍できると思う。そのチャンスを海外で掴んできてほしい。」

    日本で外見による差別を受け続けたセリンさんだからこそ言える、力強い言葉だと感じました。

    そして、そんなセリンさんにとって、留学とは一言で言うと何でしょうか。

    「新たな自分に気づけるもの」

    トルコに行けばアジア人と言われ、日本にいれば外国人と呼ばれる。どこにも居場所のなかったセリンさんが、アメリカで「Be yourself」と胸を張れるようになるまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。小学校・中学校・高校と続いた差別、大学受験の不合格、コミカレでの涙の日々 ― それでも前を向き続けたセリンさんの姿が、これから留学を目指す人たちの希望になることを祈ります。